最高裁判所第三小法廷 昭和59年(あ)1642号 決定
本籍
東京都昭島市東町一丁目九六番地
住居
同 立川市富士見町一丁目三一番一八号
不動産賃貸業
榎本喜助
明治四四年四月三〇日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五九年一一月二六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人井口英一の上告趣意は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治 裁判官 長島敦)
○ 上告趣意書
被告人 榎本喜助
右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴趣意は次のとおりである。
昭和六〇年一月二四日
弁護人 井口英一
最高裁判所 御中
記
一 原判決の刑の量定が甚だしく不当であって、これを被棄しなければ著るしく正義に反することを認める事由がある。
原判決は「被告人を懲役一年六ケ月及び罰金五千万円に処する。但し、懲役刑についてはこの判決確定の日から三年間右刑の執行を猶予する」というものである。
右量刑は左のような情状を考慮すれば著るしく不当である。
(一) 本件事案は通常の所得税法違反とは多少異なり商品取引における利益不申告という特殊な事案である。
いうまでもなく商品取引行為は俗に「一夜大名の一夜乞食」といわれているように極めて投機性が高く被告人のような素人の取引者は一般には利益をあげるよりむしろ損失を破るケースが極めて多い。
現実に被告人の場合も本件で摘発されたように昭和五五年、五六年の両年で三億円を超える利益をあげているが、過去昭和四六年、四七年頃には一億円を超える損失、また昭和五四年度には一億二千万円程の損失を出すなど損失が先行している状況であった。
このように現在利益があがっていても、いずれ損をする可能性が高いものであり、また商品取引において損失をしても年度が異なれば税制上何ら考慮が払われないということを考え合わせ通常の所得税法違反のケースより量刑の上で配慮すべきである。
(二) 取引上多数名義の使用について
原判決では被告人が商品取引を行うに際し自己の名義を使用せず「原島利夫」外数名の名義を利用したことについて、名義を分散することにより当初から所得を隠ぺいしようとの意図であったかのように判断をしている。
しかし右判断は事実と異なる。
すなわち、被告人は自己の名義を使用しなかったのは前述した昭和四六~四七年頃、商品取引において巨額な損失を出した際に妻ヤマ、長男敏晃に今後一切商品取引には手を出さないと誓約させられた手前自己名義を使用するわけにはいかず、他人名義を借用したものであり、また数名の名義になったのは商品取引業者の営業員が新規の顧客を開拓することにより営業成績があがることから営業員の希望を入れて数名の名義により取引をなしたものであり、事前に計画的に多数の名義を使用したものではない。
(三) 摘発後の被告人態度
(1) 調査への協力
被告人は昭和五七年四月末脳溢血で倒れ国立村山病院に入院治療後同年六月一一日仮退院していたが、同年一五日国税局により本件脱税の件で調査をうけた。
被告人は当然のこととはいえ病いをおして当初よりむしろ積極的に事実を認め調査に協力した。
(2) 脱税額の決定と経費の認定をめぐる経緯
脱税額の認定について被告人は当初二億五千万円と自認していた(これは昭和五五、五六年度の利益から昭和五四年度の損失を差引いて考えたもの)が被告人の前年度の損失を考慮すると、国税局が認定した約三億六千万円の金額とほぼ一致するものであり、被告人の調査当初からの素直な協力が裏付けられるものであり被告人は国税局の認定額を素直に受け入れた。
また被告人は商品取引の利益による所得に対する経費の算定について、本件のような多額の所得のケースについては交際費、交通、通信費等の経費について多額な金額を計上することが一般的であるが、貧農の出で幼い頃から苦労をして今日を築いた昔気質の性格ゆえ無駄な費用は費わず、またいわゆるあぶく銭であるからとて、湯水のように費うことはしなかった事実をそのまま調査官に述べたため調査官側でも好意を持ち一括して経費を認定していただいた経緯もある。
(3) 決定額と納税について
本件についての国税局による調査は昭和五七年一二月初め頃終了し、税額の決定通知が同月一八日に被告人に対しなされた。
被告人はこの決定をうけて、直ちに同月二〇日に昭和五五年、昭和五六年所得について修正申告をなすと同時に両年度の本税二億五千三百万円強を即日納付した。
また右本税に対する延滞税として金三千百万強を支払い、また重加算税金七千五百九十万円については一〇回にわたる分割納付の許可を得、昭和五八年五月から昭和五九年二月末日までの納付金を滞ることなく納付完了させた。
更に本件に付随して住民税を三千五百万円強を追加納付するなどし、結果的には商品取引によって得た利益額を大巾に上回る約四億円を納付するに至り、そのため被告人は現在経済的に困窮する状態にも陥っている。
(四) 従前からの納税態度
被告人は今回はこのような多額な脱税を犯してしまったが、被告人はこれまで昭和四八年~四九年頃には不動産譲渡所得により立川税務署管内で二番目の高額納税者になるなどしながらこれまで一度たりとも脱税をしたことはなく、極めて真面目なかつ優良な納税者であり納税態度であった。
また本件摘発後は本件を反省し、より一層真面目に納税するよう心がけ他の人にも自己の悪体験を話し、よりよい納税するよう説きながらまた自らを戒しめている。
(五) 被告人の健康状態
被告人は老分の上本件摘発直前に脳溢血で倒れた後今日まで病状は思わしくなく現在毎週継続的に通院し、治療を続けている状態である。